2026年3月、キリンホールディングスのCSV戦略担当役員に、経営企画部長を務める常務執行役員の高岡宏明氏が就任した。経営企画とCSV戦略の両方を管掌する役員はキリン初。これは「キリンのCSV経営のフェーズが変わった」というメッセージでもある。キリンは長期経営構想「Innovate2035!別ウィンドウまたはタブで開く」を打ち出し、CSVパーパスを改定するなど、祖業のビール事業で培った発酵・バイオテクノロジーを生かした技術力を武器に、医薬やヘルスサイエンスも扱う会社へと変わろうとしている。その変化点で、キリンのCSV経営の何が変わり、何が変わらないのか。CSVへの投資は企業価値のどこに効くのか。高岡氏に聞いた。
「サステナビリティはビジネス課題」―キリンが考えるCSV経営の次のフェーズ
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高岡 宏明(たかおか・ひろあき)
キリンホールディングス株式会社 常務執行役員 経営企画部長(事業提携・投資戦略)兼CSV戦略担当
1993年キリンビール入社。情報システム部、経営企画部、海外留学を経てグループ戦略・M&A推進に携わり、オセアニア酒類事業会社Lionで取締役に就任。2022年1月、キリンホールディングス経営企画部長兼DX戦略推進室長。2023年3月、キリンホールディングス執行役員経営企画部長兼デジタルICT戦略部長。2026年3月、キリンホールディングス常務執行役員兼経営企画部長(現任)、サンミゲルブルワリー取締役(現任)。
経営企画とCSVを一人の役員が束ねる人事の意味
高岡さんは、2026年3月に初めて経営企画とCSV(Creating Shared Value)戦略の両方を管掌する役員に就任しました。この人事、CSV経営がどんな段階に入ったことを意味するのでしょうか。
これまで、経営企画とCSV戦略担当の役員は別に置いていました。別々の人間が担当していたので、ある程度まで進めてから融合させていく形でした。今後はこれを、経営プロセスの最初の段階から財務と非財務を一体にして進めていきます。
我々がCSV経営を掲げている以上は当然のこと――。そういう会社からのメッセージだと受け止めており、キリングループがCSV経営を新たな段階へ進めるという意思が込められていると考えています。
社会的価値を上げることを売上や利益につなげ、経済価値を上げる。経済的価値が上がると社会的価値への投資ができる。社会課題をどう解決するかという視点と、経済価値をどう高めるかという視点は、もはや別々ではありません。両者を一つの経営判断として統合していくことが、私の役割だと思っています。
高岡さんは「自然リスクはもはやサステナビリティの課題ではなく、明確なビジネス課題」と話していますね。
我々の事業は「生への畏敬」という醸造哲学を持ち、自然の恵みを活用して成り立っています。祖業のビールはもちろんですが、それ以外の清涼飲料も、ヘルスサイエンスの乳酸菌も、バイオ医薬もそうです。自然由来の原料をはじめとした生物資源を前提に事業を行っています。
私はもともとビジネスの側からサステナビリティやCSVを見てきました。例えばこれまで、我々の事業を支えてきてくれていた自然というのは永続的に続くものだという前提に立ってビジネスを捉えていました。しかし今、そうではなくなってきています。
自然を守るというのは、ビジネスの持続可能性を高めるための根底を守ることに他なりません。CSVの取り組みというのは、ビジネス課題への取り組みそのものです。

オレンジの不作や工場の浸水。自然リスクが事業に影響を及ぼしている
自然リスクがキリンのビジネスに影響を及ぼしたケースはありますか。
最近では、気候変動の影響が顕著です。例えば、米国やブラジルの天候不順でオレンジの収穫量が激減して、調達コストが大幅に高騰しました。別の産地からの調達を考えましたが、コスト面だけでなく風味も変わるのでそう簡単ではありません。このことだけが原因ではありませんが、結局、商品の値上げをせざるを得ませんでした。
台風やハリケーンによる被害も深刻化しています。2024年に米国でクラフトビール事業を営むキリングループのNew Belgium Brewing(ニュー・ベルジャン・ブルーイング)の工場が被災して、製造設備が水に浸かり、在庫も全部だめになってしまいました。
ビール工場は水に浸かると復旧させるのに時間がかかります。製造再開までには半年ほどかかりました。商品をお届けできない期間ができ、販売機会のロスにつながってしまいました。こうした自然リスクは将来の話ではなく、すでに私たちの事業に影響を及ぼしているのです。


経営企画とCSV戦略が一人の役員に統合されたことで、キリンの意思決定や投資判断にどのような変化がありますか。
投資判断の場面では、温室効果ガスの排出がビジネスに将来的に与える財務影響を考慮しています。二酸化炭素の排出に価格を付ける「カーボンプライシング」と呼ばれるものです。これまでも環境投資判断に活用はしていましたが、価格が実勢よりも低かったので、今年4月に価格を引き上げました。
今後、排出量取引などの制度が本格化した場合、定められた排出枠より我々の排出量が多くなれば、超過分の排出枠を購入する必要がありコストになります。逆に、少なくなればその分は他の会社に売れて収益になります。そういうことを中長期的に見据えて投資判断をしています。
事業ポートフォリオについては取締役会でも、3カ月に1回ほどの頻度で議論しています。今後はこれまで以上に、そこに財務的な観点だけでなく非財務的な観点を入れていきます。これまで経営企画の責任者として私が事業ポートフォリオを見てきました。そこに、CSVを経営の視点として入れていく。これが私の役割だと思っています。
「健康」を真ん中に据えた。CSVパーパスで変えたこと、変えなかったこと
2026年2月に長期経営構想「Innovate2035!」を発表し、併せてCSVパーパスも改定しました。キリンのCSV経営の変わるところと、変わらないところは何ですか。
CSV経営の根本的な考え方は変わっていません。ビジネスで結果を出し、社会的価値を上げ、これらを両立させていく。キリングループが2013年にCSVを経営の根幹に据えて以降、大切にしてきた軸です。
一方、変えたところもあります。今回、キリンのCSV経営の指針であるCSVパーパスを改定しました。CSVパーパスでは、「酒類事業を営むキリングループとしての責任」を前提に、「健康」「コミュニティ」「環境」を重点課題に定めています。その中で今回、イラストのとおり、「健康」を中心に据えました。

「健康」については、「生活者のこころと体の健康に貢献する。」とメッセージを改めました。「こころ」という文言を入れました。体の健康はもちろん、こころの健康にも貢献していく。こころの健康の中には、飲料を通じて人と人がつながることでコミュニティが活性化することも含まれています。また、アルコール関連問題への対応や適正飲酒の啓発を前提に、生活者のこころ豊かな時間にも貢献していくことも重要だと考えています。
CSVパーパスと長期経営構想「Innovate2035!」はどのような関係ですか。
CSVパーパスはキリングループが社会と価値を共創しながら持続的に成長していくための指針で、キリングループが社会に対してどういう存在であり続けるかという約束です。長期経営構想「Innovate2035!」は、その約束を「どう実現していくか」を示す関係だと考えています。社会課題の解決と事業成長を切り離さず、一体で進めることが、私たちが目指すCSV経営の姿だと思っています。
サステナビリティは「財務にあらず」ではない。将来の財務につながる「プレ財務」
健康や環境といった非財務の取り組みは、それらがどう企業価値につながるか見えにくいところがあります。
非財務という言葉は一般的だと思いますし、我々もそれを使ってきたわけですけれども、「財務にあらず」みたいな理解になってしまう。私はサステナビリティへの投資はコストではなく投資だと考えていて、それは将来に財務へのリターンがあるものだと考えています。「財務にあらず」ではなくて、将来的に財務につながっているという意味で、私は「プレ財務」と捉えています。
これはサステナビリティだけではないと思います。例えば人材への投資。すぐ財務諸表に価値として載るわけではありませんし、やめたって来年の利益が下がるわけではない。でも、継続していかないと会社の成長は持続しない。研究開発への投資も同様で、継続しないとビジネスが先細りになっていきます。人材投資やR&D投資も含めて「プレ財務」だと考えています。
CSVの取り組みは、「プレ財務」という形で企業価値にどうつながりますか。
例えば、先ほど例に挙げたカーボンプライシングの取り組みでは、将来の排出コストが増加するリスクへの備えとなるとともに、結果として将来の財務リターンにつながる可能性があります。健康の観点では、ヘルスサイエンス関連商品をお客様にお届けすることが事業成長に直結しフリーキャッシュフローの創出につながります。将来起こり得るあらゆる危機に対してしっかり取り組んでいるということが投資家にも見える形になっていれば、資本コストを下げる効果があり、これも企業価値につながります。

ただ、世界情勢が見通しにくい今、将来のことを数字にして「これだけ儲かる」と示すのは難しいのではないでしょうか。
将来のことですし、さまざまな要素が絡むので、厳密に数字で示すのは難しいです。それでも、社内外のステークホルダーに伝える努力をしなければなりません。だからこそ、ストーリーを紡いでいくことが重要です。定性的になるかもしれませんが、「我々はこうなると信じている」「こういう投資をすることで未来はこうなる」と語っていくことが重要だと思っています。
「午後の紅茶」の茶葉を守って14年目。プレ財務の3つの事例
「プレ財務」が企業価値につながっている商品や取り組みの例を挙げてください。
2013年からスリランカの紅茶農園に対してレインフォレスト・アライアンス認証を取得する支援を開始したことを契機に、現在は環境再生型農業への移行支援を続けており、スリランカの紅茶農園との協働は今年で14年目になります。キリンビバレッジの基幹ブランド商品「キリン 午後の紅茶別ウィンドウまたはタブで開く」の原料となる茶葉の多くを、スリランカから調達しています。
紅茶農園の持続性や茶葉の品質は、我々のビジネスに直結しており、それはサステナビリティの課題ではなくてビジネスの課題そのものです。今や同国で認証を取得した大農園の約3割は、キリンの支援によるものです。
2025年に農園の人たちや政府関係者を含めたステークホルダーの皆さんに集まっていただき、我々がスリランカの紅茶農園の持続可能性を高めるためにどういう取り組みをしているかを共有する「キリンフォーラム」を開催しました。こうした取り組みは、安定した品質の茶葉を十分な量調達し、「午後の紅茶」というブランドを持続的に製造・販売していくために必要なビジネス基盤を守る活動であり、将来的な財務につながる「プレ財務」です。

キリンビールの「キリングッドエール別ウィンドウまたはタブで開く」では、商品の購入を日本各地の地域コミュニティ支援につなげています。この取り組みについて、これまでの成果や手応えをどのように受け止めていますか。
グッドエールを購入すると日本各地の地域コミュニティ支援に参加することができる仕組みです。寄付額は2026年7月末までの累計で5000万円を超え、2年間の目標4000万円を上回りました。キリンビールは、同様の取り組みをブランドアクションとして「晴れ風」や「一番搾り」などでも広げています。

ヘルスサイエンス事業は2025年12月期に売上収益2514億円、事業利益111億円となって、前期の109億円の赤字から黒字に転換しました。健康という社会課題を解決することが経済的価値につながっている例を教えてください。
ヘルスサイエンス領域はCSV経営による価値創出を説明しやすい領域です。当社の独自素材であるプラズマ乳酸菌については、グループ会社Blackmores(ブラックモアズ)のアセットを活用し、アジア・太平洋地域(APAC)での展開を加速しています。一例として、2026年7月よりシンガポールで小型飲料「KIRIN IMMUSE Yoghurt Flavour別ウィンドウまたはタブで開く」の販売を開始しました。また、2027年にはプラズマ乳酸菌配合のサプリメントを豪州で上市する見込みです。さらに、キリングループの協和発酵バイオが海外のみで展開する脳機能領域のシチコリン素材「Cognizin®」(コグニチン)もあります。健康という社会課題の解決が、市場を広げ、新しい需要を生み出していく。こうした積み重ねがキリンブランドの信頼を高め、将来のキャッシュフローにつながっていきます。

ビールの会社からヘルスサイエンスの会社へ。2035年、キリンは何の会社か
CSV経営を進めていくうえで、キリングループ従業員の課題は何でしょうか。
従業員へのエンゲージメント調査の結果を見ると、CSVに関する共感はものすごく高いです。その一方で、実践というとスコアが低くなるのが課題です。
あらゆる事業、あらゆる機能部門、すべての従業員の仕事は、CSVにつながっていると捉えています。何か特別なことをやらないとCSVを実践していることにならないと考えると難しいですけれども、自分の仕事はCSVに直結していると理解しながら働くというのが、実践なんだと思います。
「社会に良いことだから」「お客様に評価してもらえるから」、そこで説明を止めないことが大事だと思っています。それがキリングループの事業の発展や企業価値の向上にどうつながるのかまで言えると、社会の価値と会社の価値がはじめて一つになる。日々の働きがいや士気にもつながります。
2035年にキリンはどんな会社になっていると思いますか。
キリンの強みは技術力だと思います。R&D先進企業として、そしてイノベーション先進企業としても、新しいものを生み出し、お客様に新たな生活習慣を商品・サービスを通じてお届けする会社になっていると思います。
注目領域はやはり健康です。今回、CSVパーパスの真ん中に据えたことも大きなメッセージです。まだまだキリンはビールの会社と思われていると認識していますが、2035年にはこころと体の健康をサポートする会社と思われたい。当面はヘルスサイエンス事業をいかに太くしていけるかがカギになると思います。
最後に。グループの社員やキリンのステークホルダーの皆さんに、伝えたいことは。

我々にとってCSV経営は戦略だと思っています。外から見ると「キリンがやってるから真似しよう」と思うかもしれません。でも実際には、CSVを経営の根幹に据えて取り組んできた長年の積み重ねと組織知の組み合わせなので、仕組みだけを持ってきても同じにはなりません。それが競争優位なのだと思います。そしてそれがまた優秀な人材を引きつけていく。
キリングループがCSV経営を掲げ始めたのは2013年からですが、創業間もない頃から社会のために何ができるかという考え方を持って事業に取り組んでいます。この考え方を自分たちも引き継いで、次の時代の人に受け渡していく。我々は今それを止めるわけにはいかない。先人の意思と取り組みを引き継ぎ、進化させていきたいです。これがグループ従業員へのメッセージです。
不確実性が高い今だからこそ、ビジネスの持続的成長を気にする方は多いと思います。健康、コミュニティ、環境をはじめ、人材やR&Dへの投資についても、10年、20年、30年先を見据えて取り組んでいくとともに、それがどう企業価値につながっていくかをストーリーと定量的なデータでお伝えしていきたいと考えています。

























