研究室で生まれた発見が、誰かの暮らしに届くまで。そこには、まだ見ぬ可能性を探る挑戦があります。連載「新しいが生まれる現場」では、キリンの研究や技術を育ててきた人たちが、どんな「次」に挑み、何を生み出してきたのかをたどります。
今回の主役は、免疫に働きかける「L. lactis Plasma(プラズマ乳酸菌)」の機能を発見した研究者の一人、城内健太さん。
いくつもの壁や悔しさを乗り越えた城内さんは、今、L. lactis Plasmaを医薬品へ応用する挑戦へと歩みを進めています。未知を面白がり、可能性を信じ続ける熱意の先にある「次のキリン」とは?
城内 健太(じょうない・けんた)
キリンホールディングス株式会社 ヘルスサイエンス事業本部 ヘルスサイエンス研究所 主務
2007年に小岩井乳業株式会社に入社し、品質管理部で働いた後、2008年にキリンホールディングス株式会社 フロンティア技術研究所へ長期出張。2015年からは、国立長寿医療研究センターで研究生として活動。その後、小岩井乳業株式会社のマーケティングを担当し、2021年からキリンホールディングス株式会社 キリン中央研究所(現ヘルスサイエンス研究所)に出向。また、国立感染症研究所の協力研究員としても活動している。
超一流誌が無理だと断言。それでも疑い続けた研究の先に 果たして試験管の外でも結果が出るか……。お蔵入りの研究が残した壁 棚に残る商品を見るつらさ。子どもたちの笑顔が研究する意味を変えた 研究はたまらなく面白い。それでも「売れること」にこだわりたい 「好き」を突き抜ける後輩たちと、次のキリンをつくりたい 超一流誌が無理だと断言。それでも疑い続けた研究の先に 私が小岩井乳業から出向のような形でキリンの研究所に来たのは、2008年のことです。1年ほど別の研究テーマに取り組んだ後、ある免疫細胞を活性化する乳酸菌の研究を担当することになりました。それが、のちの「L. lactis Plasma(プラズマ乳酸菌)」です。
L. lactis Plasmaが働きかけるのは、「プラズマサイトイド樹状細胞(以下、pDC)」と呼ばれる免疫細胞です。免疫細胞にはさまざまな種類がありますが、pDCは「免疫の司令塔」とも呼ばれる重要な役割を担っています。会社にたとえるなら、pDCが「社長」で、ほかの免疫細胞たちが「部下」。社長がビシッと号令をかけることで、部下たちが一斉に体を守る仕事に動く。そんなイメージです。
そもそも乳酸菌がなぜ免疫細胞を活性化できるのかというと、乳酸菌に含まれる成分を免疫細胞のセンサーが感知して、「動け!」という合図を受け取るからです。ならば、社長であるpDCを直接やる気にさせられる乳酸菌が見つかれば、部下の免疫細胞全体を活性化できるかもしれない。ここがとても面白いところでした。
ただ、当時は「乳酸菌でpDCは活性化できない」という論文が、超一流の学術誌に掲載されていました。「乳酸菌には無理なんだ」というのが定説で、私も最初は「まあ、そうだよな」なんて信じていたんです。
でも、よく読み込んでみると、世界中のありとあらゆる乳酸菌を調べ尽くしたわけじゃない。「だったら、まだ試していない乳酸菌の中にいるかもしれないじゃないか」と、あきらめずに探し始めることにしました。
実験には、もともと医薬品の開発などで使われていた検証手法を応用しました。とはいえ、私たちがすべての乳酸菌のストックを保有しているわけではありません。乳酸菌の公共バンクから数多くの乳酸菌を取り寄せては、自分たちで一つひとつ培養し、細胞にふりかけて反応を見る…という地道な作業の繰り返しでした。
実験データが出るたびに、チームのみんなで集まっては「これ、どういう意味なんだろう?」「細胞の中で一体何が起きてると思う?」と、時間を忘れて議論しました。それがもう、ただただ楽しくて。目の前で起きている未知の現象がとにかく面白くて、みんなで顔を突き合わせて夢中で考えましたね。
そうした日々の中で見つかったのが、L. lactis Plasmaが持つ、新しい機能でした。定説を疑ってみたことで、科学の扉をひとつ、新たに開くことができたんだと思っています。
果たして試験管の外でも結果が出るか……。お蔵入りの研究が残した壁 試験管の中で、L. lactis PlasmaがpDCを活性化することは分かりました。でも、そこで終わりではありません。実は、私はここからのステップに苦手意識がありました。というのも、前に担当していた研究テーマでも、試験管の中では素晴らしい結果が出ていたんです。ところが、その先の検証では思うような結果が得られず、結局、その研究テーマ自体がお蔵入りになってしまったんです。
そんな苦い経験があったので、今回の研究計画を立てているときも、「本当にうまくいくのだろうか……」と、胃がキリキリするような不安がありました。最初から「いける!」と自信満々だったわけでは、全然なかったんです。
それでも、慎重に条件を詰めながら研究を進めました。何度も結果を確かめながら、繰り返し検証していくうちに、周りにも納得してもらえるような結果を得られたんです。「この研究を前進させられるかもしれない。ああ、本当によかった」と、ようやく心の底からホッとしました。自分にとっては、以前ぶつかった大きな壁を乗り越えられた瞬間でもあったので、格別にうれしかったですね。
ただ、その時点では社内の反応は思ったほど大きくありませんでした。周りからすれば、「pDCが活性化することは分かった。でも、それで結局、私たちにどんな価値があるの?」という受け止め方だったんでしょうね。
そこで、「じゃあ、具体的にどう健康を守る働きにつながるのか?」をさらに研究しました。さまざまな角度から検証を積み重ねた結果、L. lactis Plasmaの働きを裏付ける、はっきりとしたデータを得ることができたんです。
その結果を報告すると、「これ、めちゃくちゃすごいじゃないか!」と社内がざわつき始めて、空気がガラリと変わりました。ひとつのデータが持つ説得力で周囲が一変したあの空気は、今でも鮮明に覚えています。
こうして一つひとつ確かなエビデンスを積み重ねながら、L. lactis Plasmaの研究は、健康に貢献する新たな価値の実現に向けて、本格的に動き出していったんです。
棚に残る商品を見るつらさ。子どもたちの笑顔が研究する意味を変えた 2012年、ついに小岩井乳業から、L. lactis Plasmaを使ったドリンクヨーグルトが発売されました。
ところが、期待を超えるほどは、売れなかったんです。これは、なかなかつらかったですね。現実はそんなに甘くないと思い知らされましたし、小岩井乳業に迷惑をかけているんじゃないかという申し訳なさもありました。
私、小岩井乳業がすごく好きなんですよ。地元・岩手で育って小さい頃から小岩井農場によく行っていましたし、入社できたこと自体がうれしかった。社員も温かくて牧歌的で、社長が気さくに話しかけてくれるような会社です。だからこそ、大好きな会社の商品が売れていない状況を放っておけませんでした。
そこで、乳酸菌製品を地域の子どもたちに飲んでもらい、その後の体調の変化を見たという事例を参考に、L. lactis Plasmaでもできないかと考えました。やるなら工場がある岩手県の雫石町でやりたいとマーケティング部門や営業部門の盛岡支店に相談し、岩手医科大学にも検証に協力していただきました。
子どもが対象なので、倫理審査で安全性や有事の対応について厳しい質問を受けるなど大変なこともありました。それでも、関係者のみなさんに理解と協力をしていただき、雫石町の小中学校に通う児童生徒にL. lactis Plasmaが入ったヨーグルトを約2カ月間、毎週3回配布することになりました。
雫石町の子どもたちがおいしそうに飲んでいる写真を見たときに、ああ、研究していて本当によかったなと。学校や教育委員会のみなさんからも感謝の言葉をいただいて、ものすごくうれしかったです。
正直、この活動が大きな話題になって、一気に売れたかというと、そこまでうまくはいきませんでした。でも、自分の気持ちには大きな変化があったんです。それまでの私は、自分が楽しく研究できることがすべてでした。でも、自分たちの研究が、誰かの喜びにつながるとはこういうことなんだと実感したんです。気持ちが変わった瞬間でした。
研究はたまらなく面白い。それでも「売れること」にこだわりたい 今回、「挑戦」をテーマにお話ししていますけど、そんな大げさなものでもないかも……という感じもするんです。正直、目の前のことに夢中になっていただけなんですよね。
実験をして、データが出たら、みんなで見て考える。「これ、面白いな」「どうしてこうなるんだろう」という気持ちで、ずっとやってきました。結局、私は免疫が好きなんです。免疫学も好きだし、免疫細胞そのものも好きなんですよね。
自分でも知らない細胞が体の中にたくさんいて、こちらが「戦って」と言わなくても、ちゃんと働いてくれる。何かが入ってきたら困る場所には、前もって構えているんです。自分の意思とは関係なく、そんな仕組みが動いている。すごく不思議じゃないですか。
人体って、よくこんなふうにできているなと思います。細胞の働きからDNAのレベルまで、まだ知らないことがいっぱいある。それを学問として調べられるのが、免疫学の面白さなんですよね。何が起きているんだろうと考えて、少しずつ分かっていく。その時間が楽しいんです。
それに、もっと単純な憧れもありました。前から、樹状細胞を研究している人って格好いいなと思っていたんです。樹状細胞も、とげとげしていて、デザインも魅力的なんですよ。だから、その一種のpDCを研究できるようになった自分もちょっと格好いいなっていう気持ちもあったんですよね(笑)。
もちろん、好きな研究に没頭できる環境を支えてくれている人たちがいます。今も売り場を見に行きますし、営業の方に同行することもあります。そのときに、現場で一生懸命、商品を販売してくださる人がいるから、私は研究ができているんだと痛感します。そう思うと、やっぱり研究で何か役に立ちたいです。
お客様が飲んでくれて、喜んでくれれば、また商品を買ってもらえる。それが会社にも還元されて、そのお金でまた研究ができる。そういう循環につなげていきたいんです。ただ、研究でいい成果が出れば売れるかというと、そうではないのは経験済み。売れる研究って何なんだろう、というのは、いまだに分からないんですね。研究者の立場ではありますが、足りない何かを探すことは、これからも続けていかないといけないと思っています。
だからこそ、今挑戦しているのが、L. lactis Plasmaの医薬品への活用です。食品とはまた違う形で、その可能性を広げられないか。目の前の研究を、少しでも先へ進めていきたいと思っています。
「好き」を突き抜ける後輩たちと、次のキリンをつくりたい 研究の中身については、自分なりに大切にしたいこともあります。それは、キリンの研究開発部門に根付く「High Science®別ウィンドウまたはタブで開く 」の文化です。
生命を敬い、自然の理に学びながら、誠実な科学を積み重ね、お客様の生活行動を変えるイノベーションを生み出す。サイエンスを「価値創出の次元」にまで引き上げるという哲学です。
この哲学を守りたいので、研究でいい結果が出たら、そこで終わらずに「じゃあ、なぜそうなったのか」と、さらに深く調べていく姿勢を大事にしています。
先輩から直接、こうしなさいと言われた記憶はないんですよね。でも、先輩方の論文を読むと、すごくしっかり調べていて、妥協を許さない姿勢を感じ取れます。その仕事を見ながら、これがHigh Science®なんだなと、自分なりに解釈しています。
お客様も、自分が口にするものがどういう仕組みで体に働くのかは知りたいですよね。よく分からないけれど、いい結果が出ました、だけでは不誠実だと思うんです。
先輩方が築いてきた文化を受け継いで、自分も次につないでいかなければいけません。というのも、今私が少しずつ人財育成にも関わるようになってきたからです。若い研究者たちは、みんな優秀で、しっかりしているんですよ。「何の役に立つのか」「どうお客様につながるのか」ということも、よく考えています。
でも、私としては、まずは「これが好き」「これを知りたい」でいいんじゃないかなと思います。子どもが持っているような「なんで?」「どうして?」から始めて、その先をとことん調べていく。そういう、自分の好きなことにぐっと入り込める、ちょっと突き抜けた研究者を育てたいんですよね。
そのための環境がキリンにはあります。だからこそ「どう育てるか」に向き合いたい。自分が楽しんだり、苦しんだりしながら研究している姿を見せることも、そのひとつかもしれません。人財育成や組織のことも、これからもっと学びたいですね。
L. lactis Plasmaが活性化させるpDCは、免疫の司令塔。ならば私が、チームの司令塔として一人ひとりの強みを引き出す存在になりたいと考えています。「好き」を突き詰めた個性が集まれば、チームは圧倒的に強くなる。何が生まれるか分からないからこそ、ワクワクします。
個の力を結集して、まだ見ぬ面白い価値を生む。そんな強いチームをつくるために仲間を導いていくことが、今の私の野望です。
編集後記
取材で印象に残ったのは、城内さんが研究の話をしているときの楽しそうな表情です。「どうしてそうなるんだろう」「何が起きているんだろう」。未知のことを知りたいというワクワクが、言葉の端々から伝わってきました。 そうした探究心とともに感じられたのが、感染症が健康や暮らしに及ぼす影響への強い問題意識です。 「目の前の不思議」に好奇心をかきたてられながら、社会への貢献も見据えている。 純粋な思いと、社会へのまなざしが自然とつながっていることが、一つひとつの言葉から伝わってきました。 気づけば多くの人に届く取り組みへと発展したこの研究は、まだ続いています。未知を探究する中から生まれた発見は、この先どんな人たちに届き、どんな未来につながっていくのか。ワクワクの先にある未来を、これからも追いかけていきたいと思います。
<KIRINK編集部(技術広報担当)米本>
キリンR&Dが描く、創りたい未来へ
キリンは、発酵・バイオテクノロジーを基盤に、免疫研究など健康寿命の延伸に向けた取り組みを進めています。人の一生に寄り添い、健やかに暮らせる社会を目指しています。 この記事で紹介した挑戦は、キリングループR&Dが「創りたい未来」に向けて取り組む6つの方向性のうち、「人の一生を支える健康の科学」につながるものです。
創りたい未来|キリンの研究開発 別ウィンドウまたはタブで開く